〈伊東義祐〉「船頭に浜辺へ捨てられた」堺での客死

伊予道後・播磨・周防の流浪と、天正13年(1585)8月5日の堺での死去は『寛政重修諸家譜』等で確認できる史実。ただし「便船の船頭に砂浜へ捨て置かれた」「発見者は祐兵の従者とも夫人とも」といった細部は『日向記』系の伝えで一次的裏付けは弱い。「三州太守」との落差が強調されて語られてきた点に留意。

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