〈赤井直正〉「呼び込み軍法」で明智光秀を撃退した

天正4年(1576)1月15日、波多野秀治の離反で光秀軍が壊走したこと自体は史実(第一次黒井城の戦い。金子拓・福島克彦)。しかし「わざと敵を城下深くまで誘い込み、秀治と示し合わせて挟撃した」という説明は後世の呼称・解釈で、事前共謀を示す一次史料はない。秀治独自の判断だった可能性がある(明智光秀・波多野秀治の各ページと判定を揃えている)。江戸中期『常山紀談』の「誘い出し討ち」逸話がイメージ形成に寄与した。

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