〈長宗我部国親〉仇敵に娘を嫁がせ、のちに戦った

天文13年(1544)の娘と本山茂辰の縁組、永禄3年(1560)の開戦は諸書一致の通説。ただし経緯は『土佐物語』が「国親を警戒した茂宗との衝突を一条氏が仲介」、『土佐軍記』が「茂宗の側が恐れて申し出た」と分かれる。国親の剃髪を両家関係維持の意図とみる朝倉慶景説もあり、決裂直前まで関係維持の努力があった可能性も指摘される。娘婿との開戦は非情に見えるが、引き金は本山方の襲撃と伝わる点に留意。

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