〈一条兼定〉家臣団による主君追放(1573–74)

三家老の合議による隠居強制(1573)と豊後退去(1574)は『中村市史』等で確認できる史実で、戦国期でも稀な「主君押込」の著名例。ただし朝倉慶景氏の研究以降、土佐一条家の戦国大名化を嫌った京都本家・一条内基の意向と長宗我部元親との協議(了承)を重視する説が有力。権中納言昇進(1573年6月)を花道とする体裁が整えられていた。

関連