〈長宗我部親和〉天霧城の「若き城主」だった
天正11年(1583)頃の入城と、同城が伊予侵攻・讃岐/東予統括の拠点だったことは橋詰茂氏の研究(2005)による。ただし当時17歳前後の親和名義の発給文書はごく乏しく、実権は養父・信景と長宗我部の家臣団にあった可能性が高い。「長宗我部の讃岐支配の看板」とみる方が実情に近い。
天正11年(1583)頃の入城と、同城が伊予侵攻・讃岐/東予統括の拠点だったことは橋詰茂氏の研究(2005)による。ただし当時17歳前後の親和名義の発給文書はごく乏しく、実権は養父・信景と長宗我部の家臣団にあった可能性が高い。「長宗我部の讃岐支配の看板」とみる方が実情に近い。