〈後藤基次〉全身53箇所の傷、六尺超の巨漢

「風呂で傷を数えると53箇所あった」という『長沢聞書』の記述は、近侍の証言として歴戦ぶりを伝える(数字の正確さまでは保証できない)。身長六尺(約180cm)超、大坂の陣の頃は肥満の巨漢だったという『北川覚書』等の記述もある。武名自体は、諸大名が奉公構を押してまで欲しがった事実が何より雄弁に裏付ける。

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