〈大野治長〉家康暗殺計画に関与した(1599)

増田長盛の密告により流罪となった処分自体は『史料綜覧』等で確実。だが計画の実在は疑わしく、家康が前田家ら政敵の排除と大坂城西の丸入りの口実に利用した「でっち上げ」ないし誇張とみる見解が有力。家康はこの事件を機に西の丸に天守を造営し、秀頼に並ぶ存在であることを誇示した。

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