〈藤田行政〉淀城で自害した

淀へ退却した翌日(6月14日)、勝龍寺城陥落・光秀敗走の報を聞き自刃したと伝わる。『太閤記』系の後代史料によるもので、死の状況・場所は一次史料で確定できない。ただし山崎敗戦後に消息が史料から完全に消えることから、この前後の死去自体はほぼ確実。淀退却には勝龍寺城の背後を扼する軍事的合理性があるとの評価もある。墓所は伝わらない。

関連