〈浅野幸長〉38歳の死因——『当代記』の梅毒説

慶長18年(1613)8月25日の病没は史実。同時代史料『当代記』は、数年前から疱瘡(できもの)を患い、死因を「偏ニ好色故之、虚ノ病」と記す。遊女「葛城」を身請けして溺れたことが命取りになったとし、腎虚から唐瘡(梅毒末期)に至った性病死を示唆する——これが梅毒説の初出である。同時代の風聞として重要だが、医学的確定は不可能なため諸説にとどめる。晩年に病気平癒を願ってキリスト教を信奉したと伝わり、重病が長引いていたこと自体は確からしい。

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