〈前田利長〉本能寺の変で幼妻・永姫を逃がした
天正10年(1582)6月、上洛途上の近江瀬田で変を知り、永姫(当時7歳前後)を尾張荒子へ逃がしたと伝わる。その後の利長の行動は織田信雄軍合流説・日野城籠城説などで確定しない。「妻を守った若武者」の典拠は藩政期の編纂記録類で、細部の脚色に注意。夫婦仲は良好と伝わり、永姫の号は金沢城玉泉院丸に名を残す。
天正10年(1582)6月、上洛途上の近江瀬田で変を知り、永姫(当時7歳前後)を尾張荒子へ逃がしたと伝わる。その後の利長の行動は織田信雄軍合流説・日野城籠城説などで確定しない。「妻を守った若武者」の典拠は藩政期の編纂記録類で、細部の脚色に注意。夫婦仲は良好と伝わり、永姫の号は金沢城玉泉院丸に名を残す。