〈荒木村重〉茶人「道薫」としての再生・利休十哲

本能寺の変後に堺へ戻り、天正11年(1583)から津田宗及の茶会に頻繁に出席したことは『天王寺屋会記』で確認できる史実。千利休との交流も茶会記が裏付ける。ただし「利休十哲」(七哲とする系統も)の名数は後世の整理で、秀吉の御伽衆入りは『老人雑話』等の二次史料由来。名物「荒木高麗」を所持した目利きでもあった。

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