〈池田輝政〉「西国将軍」と呼ばれた

慶長17年(1612)の参議任官による「播磨宰相」「松平播磨宰相」は史実。だが「西国将軍」は同時代の一次史料に確たる初出がなく、西国監視の重責と一門の威勢を形容した江戸期の編纂物・逸話集による後世的呼称と考えるのが穏当である。姫路が大坂と西国外様への抑えの戦略拠点だったこと自体は確か。

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