〈池田恒興〉三河中入りは恒興の献策だった

「乗り気でない秀吉に恒興が強請した」という通説は『太閤記』系編纂物に基づき、旧参謀本部『日本戦史』が定着させた。岩澤愿彦氏は天正12年4月8日付の秀吉書状(丹羽長秀宛)の分析から、三河進攻は秀吉自身の構想だったと論証。谷口央氏らは九鬼水軍も加えた水陸両用の大規模作戦として秀吉主導を主張する。「恒興の独断的献策」像は、敗戦責任を戦死者に帰す結果論的な脚色の疑いが強い。

関連