〈池田恒興〉信長の弟・信勝(信行)を手にかけた

弘治3年(1557)の信勝誅殺自体は『信長公記』が記すが、実行者は明記されない。恒興実行説の初出は池田家の申告に基づく『寛政重修諸家譜』(1801年成立)で、河尻秀隆実行説もある。「主君のための汚れ役」を家格の証として池田家側が伝えた可能性がある。

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