〈丹羽長秀〉「生涯、五郎左のままで結構」と断った
天正3年(1575)、光秀の惟任と同時に九州名族の惟住姓を賜ったことは公家日記等で確認できる史実で、以後の文書でも「惟住」を称している。一度断ったという逸話は初出文献が判然とせず、通俗的評伝によるもの。実際に姓を受けて使っている以上、「固辞し続けた」という理解は誤りである。
天正3年(1575)、光秀の惟任と同時に九州名族の惟住姓を賜ったことは公家日記等で確認できる史実で、以後の文書でも「惟住」を称している。一度断ったという逸話は初出文献が判然とせず、通俗的評伝によるもの。実際に姓を受けて使っている以上、「固辞し続けた」という理解は誤りである。