〈丹羽長秀〉「鬼五郎左」の武勇

箕作城攻め(1568)、佐和山城の8か月攻囲と城主就任(1571)は『信長公記』『新修彦根市史』で確認できる史実。だが「鬼五郎左」の異名は同時代史料に初出を確認できず、後世に「米五郎左」と対で語られるようになったもの。朝倉義景の母・遺児の処刑(『越州軍記』)など、冷徹な実行者の顔も記録に残る。

関連