〈細川忠興〉父・幽斎と確執があった
田辺城の戦いで幽斎が勅命講和により開城したことに忠興が一時不満を抱いた、廃嫡した忠隆を幽斎が京都で庇護した、といった摩擦は家記類が伝える。ただし忠興は幽斎のために菩提寺・高桐院を創建し(1602)、和歌・茶・有職故実にわたり父の薫陶を深く受けた。生涯にわたる「確執」は誇張で、気性の激しい息子と老練な父の摩擦程度に理解するのが穏当である。
田辺城の戦いで幽斎が勅命講和により開城したことに忠興が一時不満を抱いた、廃嫡した忠隆を幽斎が京都で庇護した、といった摩擦は家記類が伝える。ただし忠興は幽斎のために菩提寺・高桐院を創建し(1602)、和歌・茶・有職故実にわたり父の薫陶を深く受けた。生涯にわたる「確執」は誇張で、気性の激しい息子と老練な父の摩擦程度に理解するのが穏当である。