〈松永久秀〉二度の離反は「裏切り癖」だったのか
第一次(1571頃)は武田信玄・足利義昭らの信長包囲網への呼応で、当時の畿内諸将として特異な行動ではない。第二次(1577)は上杉謙信の西上への呼応や、大和支配が宿敵・筒井順慶に委ねられた不満などが挙げられるが、動機を直接示す史料はない。単なる「裏切り者」ではなく情勢判断の結果とみるのが近年の評価。
第一次(1571頃)は武田信玄・足利義昭らの信長包囲網への呼応で、当時の畿内諸将として特異な行動ではない。第二次(1577)は上杉謙信の西上への呼応や、大和支配が宿敵・筒井順慶に委ねられた不満などが挙げられるが、動機を直接示す史料はない。単なる「裏切り者」ではなく情勢判断の結果とみるのが近年の評価。