〈宇喜多秀家〉敗走 — 伊吹山潜伏と薩摩落ち
家臣・進藤正次と百姓家に潜伏後、上方を経て薩摩へ逃れたことは『慶長年中卜斎記』などで確認できる。潜伏地は秀家自身の書状から美濃山中村説が有力。美濃白樫村の矢野五右衛門が約40日匿ったという話は『美濃国諸旧記』由来で、逃走方向が不自然なため疑わしい。進藤正次はその後徳川方に出頭して捜索を攪乱した。
家臣・進藤正次と百姓家に潜伏後、上方を経て薩摩へ逃れたことは『慶長年中卜斎記』などで確認できる。潜伏地は秀家自身の書状から美濃山中村説が有力。美濃白樫村の矢野五右衛門が約40日匿ったという話は『美濃国諸旧記』由来で、逃走方向が不自然なため疑わしい。進藤正次はその後徳川方に出頭して捜索を攪乱した。