〈尼子晴久〉祖父・経久の傀儡だった/不仲だった
経久は天文6年(1537)に隠居して家督を譲り、後見として一定の影響力を保った。ただし1530年代の石見銀山攻略・播磨遠征は詮久(晴久)が主体的に指揮しており「傀儡」ではない。「不仲」を示す一次史料もなく、不和説は『陰徳太平記』の脚色に引きずられた後世のイメージ。近年は家督移行を尼子氏権力の段階的再編過程とみる(長谷川博史氏ほか)。
経久は天文6年(1537)に隠居して家督を譲り、後見として一定の影響力を保った。ただし1530年代の石見銀山攻略・播磨遠征は詮久(晴久)が主体的に指揮しており「傀儡」ではない。「不仲」を示す一次史料もなく、不和説は『陰徳太平記』の脚色に引きずられた後世のイメージ。近年は家督移行を尼子氏権力の段階的再編過程とみる(長谷川博史氏ほか)。