〈武田信虎〉信玄による追放劇の実像

天文10年6月14日の国境封鎖・強制隠居は『勝山記』『高白斎記』で確実。動機は「悪逆無道」(軍鑑由来の印象操作とみる説が優勢)、信繁偏愛・廃嫡計画説、義元共謀説、合意隠居説(『甲斐国志』)が並ぶが、近年は天文の飢饉と経済疲弊への対応として重臣層が決行した「世直し」クーデター説(平山優氏)が有力。晴信が直後に代替わり徳政を実施したことが領民歓迎の理由とされる。

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