〈大友宗麟〉天正遣欧少年使節を「派遣」した
伊東マンショは「豊後王(宗麟)の名代」としてローマ教皇に謁見した。だが使節はヴァリニャーノ主導の企画で、宗麟本人がどこまで関与・認知していたかは研究上議論があり、「詳細を知らなかった」とする説も有力。それでも宗麟の名がヨーロッパに届いたことは確かである。
伊東マンショは「豊後王(宗麟)の名代」としてローマ教皇に謁見した。だが使節はヴァリニャーノ主導の企画で、宗麟本人がどこまで関与・認知していたかは研究上議論があり、「詳細を知らなかった」とする説も有力。それでも宗麟の名がヨーロッパに届いたことは確かである。