〈斎藤義龍〉「范可」— 父殺しを悔いて改名した
『信長公記』は道三を討った後に「やむを得ず父を殺した中国の范可」に自分を重ねて改名したとするが、「美江寺文書」により道三敗死前の弘治元年(1555)12月にすでに「范可」名を使用していたことが確定(桑田忠親氏の指摘)。名乗り自体は史実だが、「悔いて改名した」という経緯譚は誤り。しかも「范可」なる故事は中国側史料で確認されていない。父と戦う覚悟の表明とみられる。
『信長公記』は道三を討った後に「やむを得ず父を殺した中国の范可」に自分を重ねて改名したとするが、「美江寺文書」により道三敗死前の弘治元年(1555)12月にすでに「范可」名を使用していたことが確定(桑田忠親氏の指摘)。名乗り自体は史実だが、「悔いて改名した」という経緯譚は誤り。しかも「范可」なる故事は中国側史料で確認されていない。父と戦う覚悟の表明とみられる。