〈伊達政宗〉母による毒殺未遂と弟・小次郎手討ち

初出は事件の約110年後に編纂された『貞山公治家記録』。事件後も政宗と母・義姫の親密な書簡往来が続くことから義姫首謀説には疑義があり(佐藤憲一氏)、小田原遅参の言い訳のための自作自演説、小次郎は出家して生き延びたとする異説(あきる野市・大悲願寺の寺伝)まである。何かが起きたことは確かだが、犯人・動機・小次郎の生死まで確定できない。

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