〈真田幸村〉犬伏の密談と「下駄」の逸話

慶長5年7月の父子決別は確実だが、三人だけの密談の内容は『長国寺殿御事蹟稿』など後世の編纂物にしか見えない。密談を覗いた河原綱家に昌幸が下駄を投げて歯を欠いた逸話は、綱家が当時大坂にいたとの記録もあり創作の可能性が高い。「家を残す深謀」という解釈も後付けで、姻戚関係に基づく現実的判断とみるのが近年の通説。

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