〈菅沼忠久〉子孫が彦根藩士になった

直系は2代忠道が慶長8年(1603)に死去して井伊家中では断絶。忠道の子・勝利の処遇は史料間で記載が割れる。彦根藩士としての菅沼次郎右衛門家は、天保15年(1844)に忠久の娘が嫁いだ藩重臣・長野家の次男に名跡を継がせて再興されたもので、江戸後期の彦根藩による「井伊家草創ゆかりの家」顕彰事業の一環とみられる。別に弟系の菅沼家も寛文2年(1662)から彦根藩に仕えた。初出=『寛政譜』・彦根藩「侍中由緒帳」等。

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