〈菅沼忠久〉三人衆の先導で、家康は遠江に入った

永禄11年(1568)12月の井伊谷経由の進軍と井伊谷城・刑部城攻略は複数の記録で一致し、12月12日付の知行宛行証文・誓紙の存在が家譜に明記される。文書の裏付けを伴う、忠久の生涯で最も確実性の高い事績。ただし近藤康用は宇利城に在城し実際の先導は子の秀用が務めたとされ、「三人揃って道案内」は単純化された絵である。初出=『寛政譜』菅沼譜・近藤譜。

関連