〈荒木久左衛門〉なぜこれほど「わからない」のか

確実な登場は実質『信長公記』巻十二の開城前後のみで、発給文書もほぼ知られていない。敗者かつ記録者に断罪された人物で顕彰記録が作られにくく、家中文書は落城で散逸し、通称「久左衛門」は諱の史料と接続しにくい。「生没年不詳」は単なる情報不足ではなく、敗者の記録が残らないという史料の構造的偏りの実例である。

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