〈豊臣秀長〉中国攻めでの但馬・播磨平定

山陰道・但馬方面の指揮を委ねられ竹田城代となったことは『信長公記』に見える。天正8年(1580)に有子山城を落として但馬平定を完了し、但馬7郡10万5千余石と播磨2郡を拝領。「方面軍司令官としての秀長」の初舞台で、山名家旧臣の吸収など占領地統治の手腕もここで示された。

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