〈高坂昌信(春日虎綱)〉命日はいつか — 三つの説

天正6年(1578)5月7日(『甲斐国志』が伝える明徳寺の伝承)、5月11日(『乾徳山恵林寺雑本』等)、6月14日(高野山成慶院「武田家過去帳」)の3説がある。虎綱は6月8日付の上杉景勝書状まで甲越同盟交渉の取次として史料に現れるため5月死去説は成り立たず、「6月14日巳の刻」説が最も整合的(平山優氏)。甥・惣次郎が7月25日に高野山で供養を営んだ記録(『武田御日坏帳』)もこれを支える。

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