〈松平忠吉〉島津追撃戦で自ら斬り結び負傷した
合戦直後の直政書状への結城秀康返書(慶長5年9月25日付)が、忠吉の高名と直政の高名・負傷を併記する同時代文書。『慶長見聞録案紙』等も忠吉の負傷を記す。直政・忠吉が負傷して追撃を断念したことは確実である。なお直政を狙撃した人物を豊久本人や柏木源藤とする伝えは島津側の記録・伝承由来で、個人の特定は諸説〜俗説。
合戦直後の直政書状への結城秀康返書(慶長5年9月25日付)が、忠吉の高名と直政の高名・負傷を併記する同時代文書。『慶長見聞録案紙』等も忠吉の負傷を記す。直政・忠吉が負傷して追撃を断念したことは確実である。なお直政を狙撃した人物を豊久本人や柏木源藤とする伝えは島津側の記録・伝承由来で、個人の特定は諸説〜俗説。